※ A P H 英 日 のつもりだった






自嘲してみるなら、越冬地、ということばだ。

あいつは傷ついていて、愛されたがっている。そこにおれがいた。おあつらえむきの、世間に見栄えのする人材が、いろいろの事情であいつにやさしかった。それでたまたま、選ばれた。実際それだけかもしれないと、洋服の似合い始めた背中を見て、さいきんはたまに思う。

あいつは独特の眼眸で俺を見上げる。ほかのだれとも違うやりかたで見るものだから、おれはあいつを見違えられなくなってしまった。 卑屈そうですらある目つきで、ふかい夜更けの色に、憎悪がまざった敬愛をたたえ、まぶしげに見るのだ。

その複雑さ――complex を、可哀そうに思わないではなかった。だけどそれは、言わない。言ったところであいつは曖昧に笑うだけだろうし、その裏で泣くのか怒るのかおれは見せてもらえまい。だいたい、おれに哀れみを赦すくらいなら、あいつはそもそもにくまない。そしてまた、憬れてもくれなかったろう。

だからあいつの、癒着してきりはなせない好悪を、そのうち纏めてだいてやれたらいい。そう願うだけにしておきたかった。いつまでもばらばらの心臓を抱えたままのあいつを、おれが、おれだけが傍でみている。そんなゆめをしんじていた。おれだけ、ってのはともかく、そのゆめのほとんどは、ある時期まで科学にも近いごくとうぜんの未来だった。

だけど、やっぱりちがっていた。かんがえてみりゃあたりまえのこと。だっておれは、黄色い薔薇がすきだ。黄色は、黄金、太陽の色。だとしたらおまえの色じゃないか。陽光に身を染めてかがやくあたらしいはな。ソレイユ・ドールの光輝に、どこか癪なきもちを抱きながらも喝采したのはこのおれだ。黄金のかがやく太陽が、いつまでもうつむいていられるはずがなかった。

そう、あいつは傷ついたままではいてくれない。たとえ傷ついたままだって、越えてゆくだろう。その予感はすでに始まっている。おれの隣で、痛々しいほどの努力の末だとしても、顔を上げて笑っていた。証明にはそれだけでじゅうぶんだと、おれが気づいたことをあいつはまだ知るまい。あの、世界でいちばんまぶしいものをみる目つき、それは未だ自惚れじゃないとしても、ほんとうに世界でいちばんかがやかしいのだと、信じていられるほどおれは楽天家じゃあない。

***

いつだったか。あたらしい瓦斯の灯を前に、あいつは云った。
「都は、かわるものです。たとえ、場所は遷らなくても。」
感情の見えない平坦な声に、そのときおれはふうん、と適当に返事をした。 なのに、なぜだろう、いまあの声音を耳の奥によみがえらせると、なんだか恐ろしいような心地がする。
「なら、おまえの憬れも、遷ってゆくのだろうか?にくしみさえ、去ってゆくのだろうか?」
むろん、問えるわけはなかったが。

***

いつまでもいつまでも、傷ついていればいい。うつむきがちな眸が、いつまでも、けんめいに、おれだけみあげてくれたらいいのに。

あいつが傷をこえたころ、そんな昏いゆめを、おれもこえられるだろうか。 あれこれぐちゃぐちゃに癒着してるのはおれもおなじ。そのうちお互い、麻酔もなしに分離手術をやるはめになるんじゃないか?厭な予感はある、けれども、冗談にして吐き出すことはしないでおく。言葉にはたましいがやどるのだとあいつは云うから。

――だからどうかせめて最後にやさしいものが残りますよう。
そんなふうに、祈る神のなまえすら、おまえをせめるのかもしれないけれど。

いまはまだ、薔薇の花色のことしか云えない。でも、おれは薔薇がすきだよ、黄薔薇がすきだ。剣弁高芯の誇り高い横顔を、まぶしがってるのはおれのほう。〈友情〉なんておためごかしの花言葉は、〈嫉妬〉じゃ売れないから花屋が勝手につけたんじゃねえのかと思ってる、けど、本当になればいいと祈ってもいる。

苗木をやろう、上等なやつを。病気にしてもいい。虫に食われたっていい。いっそ枯らしてしまえ。咲かせられずに困ればいいんだ。頼ってくれたら、うれしい。

いつか傷をこえたとしても、薔薇くらいならいいだろう?おまえがいつまでも みあげていられる、とびきりきれいな黄薔薇のアーチを、きっと咲かせてみせるから。卑屈さを失くした眼の色、それでもまぶしげな眼眸、まだ見ぬそれらを、 しんにだいてやれる日をねがわせてくれ。

黄色の薔薇を、あいつのきらいなあいつを、ほんとうにきれいだとしんじてくれ るのなら。それが春だというのなら。おれはきっと春を待てる。あいつが憎悪を こえ、憧憬をこえたさきに、それでもおれがいるように。とびきりきれいな黄薔薇を咲かせて、いつまででも待 っている。





(title by まよい庭火