#1 お庭のアマリリスが摘まれる


アマリリスは摘まれていった。気がつよくて口の達者な、かわいいあの子のことだから、お部屋でも愛想をふりまいてにぎやかしていることだろう。あの白い肌はきっと、どんな花瓶にも映えるにちがいない。

でもお部屋が明るくなったぶん、お庭はさみしくなってしまった。アマリリスがいたぼくの隣には、ぽっかりとなにもない空間があいている。ご主人は、アマリリスのあとに何を植えるだろうか。できれば気立てがよくて、ぼくみたいな鬼百合を馬鹿にしない子だといいけれど。
たとえば霞草。あるいは勿忘草。いっそ向日葵くらい明るい子もいいかもしれない。お高くとまった胡蝶蘭は、ちょっとご遠慮願いたいな。
ぼくは、知る限りの花を思い描いて、はじめのあいさつをなんと言うか考えた。

しかし、ぼくの隣があいてから何日たっても、ご主人は何の花も植えようとしなかった。オオバコや滑りひゆ、姫女苑といった雑草がぼくの足元まではびこっても刈ってさえくれない。これはいったいどうしたことだろう。アマリリスがいた頃は、毎日のように草取りをしてくれたやさしいご主人だったのに。ぼくは足元の蛇苺をみおろして溜め息をついた。




#2 鬼百合は揚羽蝶に接吻される


「どうしたんだい、可愛い鬼百合ちゃん。暗い顔をしているね。」
とつぜんあらわれて、ふいうちの口付けとともに声を掛けてきたのは、このお庭を狩場にしているなじみの揚羽蝶だった。彼はなぜだかぼくがお気に入りで、隙を見せるとすぐ接吻しようとする。困ったやつだけれど、庭中をとびまわる揚羽蝶はなにか尋ねるにはうってつけではある。

「いいところにきたよ。ねえ揚羽、さいきんご主人の顔をみないんだ。お前なにか知ってるかい?」
「なんだ、麗しの鬼百合ちゃんはご存知でなかったのかい?」

言いながらまた顔を近づけてきたので、ぼくはせいいっぱい顔を背けて拒否を示した。揚羽蝶はぼくの抵抗をものともせずにあっさりと唇を奪い、上機嫌に話をはじめる。

「このお庭は、もうじきご主人が変わるそうだぜ。いままでのご主人はどこだかに引越しするとかで、庭もすっかり整理したわけだ。大事な花はきれいなうちに摘み取って花瓶に生けて、気に入らないのは庭にほったらかせばそのうち勝手に枯れちまうだろうとの思し召しなのさ。」

ぼくは驚いてあたりを見回した。たしかに揚羽の言うとおり、人間の好みそうな花――桔梗や水仙やスイートピーやジャーマンアイリスたちは、アマリリスのようにみんな摘まれてもういない。あとに残っているのは、年老いた小手毬だとか、無残に萎れたベゴニアだとか。あとは人間に嫌われがちなぼくくらいのものだった。

「そんな……ご主人はぼくを摘んでくださるおつもりじゃないの?毎日草取りをして、如雨露で水を降らして、あんなに可愛がって下さったのに!」
「言いにくいがね、鬼百合ちゃん。それは鬼百合ちゃんがアマリリスの隣にいたから、ほんのついでにやってたことに過ぎない。人間なんぞには、鬼百合ちゃんの可憐さは理解できっこないのさ。こんなに甘くてちょっとおばかで、可愛い可愛い鬼百合ちゃんなのにねえ。」
揚羽蝶は、がくぜんとするぼくを見下ろしてにやりと笑った。
「俺はお前が摘まれずに済んで万々歳だがね。鬼百合ちゃんだって、その方が長生きできるだろう?俺もそのぶん長いこと、鬼百合ちゃんを可愛がってあげられるってもんだ。」

ぼくは押し付けられる唇をよけるのも忘れて打ちひしがれていた。抵抗がないのをいいことに、揚羽蝶は口付けをどんどん深くねちっこくしていったけれど、もうそんなこともどうでもいい。さんざんやりたい放題にぼくをもてあそんで、揚羽蝶は去っていった。




#3 なにものかが奇跡を起こす


枯れ草ばかりの庭にひとりきりで立ち尽くし、ぼくはほろりと涙をこぼした。花なんか咲かせているのが恥ずかしくなって、いそいで花弁をたたんでしまう。橙地に葡萄の水玉模様が見えないようにくしゃくしゃと丸めた。

葉っぱもぴんと伸ばしていられなくって、背をまるめてしばらく泣いていた。向こうのクスノキで鳴いている油蝉や、お屋敷の屋根にとまっている雀なんかが、めそめそする鬼百合を珍しそうに見ているのが分かって、ぼくはますますみじめな気持ちになる。

葡萄色の粒粒が見えないように、きつく丸めた花弁を、ますますぎゅうぎゅうかたくして、胸に抱え込んで眼を閉じた。

丸めた花弁を開いたら、お隣だったアマリリスのように真っ白になっていないかな。そしたらきっと、ぼくだってご主人に摘んでもらえる。あのいやらしい揚羽蝶ばかりがかまってくるなんてこともない。ましてや、さみしいお庭に、一人でのこされるなんてありえないだろうに。

「ああ、かみさま。どうしてぼくを鬼百合なんかにしたんです。おねがいだから、ぼくを白百合にしてください。アマリリスみたいに、ご主人に摘んでもらえたら、ぼくはなんだってやります。」

そうつぶやいてこぼした涙は、胸に抱いた花弁にぽたりと落ちた。そのとたん、どこからともなく、くすくすと笑う声が響いてきた。

《面白いことを言う花だ。その願い、かなえてやろう。》

それは人間の声に似ていたけれど、男とも女ともつかないふしぎな声だった。ぼくは眼を開けて声の主を見ようとしたけれど、真っ白なまぶしい光に眼をやかれ、何も見えなかった。

だからその声がだれだったのか、何が起こったのかは分からない。あれはほんとうにかみさまだったのか、それともてんしさまだったのか、あるいはもっと、別の存在だったのか、この先も永遠に分かることはないだろう。

でもとにかく、まぶしさがおさまって目をあけたとき、ぼくは純白の花弁を煌かせた一輪の白百合になっていた。




#4 みなが白百合を褒め称える


次の朝、ご主人はぼくをみつけて歓声をあげた。たくさんの詩を引用した美麗な文句でぼくの美しさを褒め称え、持っていた剪定ばさみで即座に摘み取ると、踊るような足取りでお部屋へ連れて行ってくれた。

それからの日々は、夢のようにすばらしかった。これまではアマリリスや霞草たちが使っていた一番上等の花瓶を、ぼくがひとりじめにして、安っぽい花瓶に押し込められた花たちや、無骨な鉢に植えられた観葉植物たちが、ぼくを羨望のまなざしでみつめるのだ。

お部屋に入ってくるご主人のなかまたる人間たちも、みなこぞってぼくの美しさに夢中になった。うっとりと見つめ、ぼくの肌をなで、くちづけをする。油の匂いのする人間に触れられるのは気持ちが悪かったけれど、ぼくは寛大な心でそれに耐えた。




#5 揚羽蝶は棘を残して去ってゆく


ぼくがそんなすばらしい生活をしていたある日、例の揚羽蝶が窓からひらひらととんできた。
「やあ、真っ白くなった鬼百合ちゃん。」
「やめてくれないか、揚羽蝶。ぼくはもう醜い鬼百合なんかじゃない。りっぱな白百合なんだ。」
「おやおや、それは失礼いたしましたよ、誰かさんの気まぐれで白百合に変身した鬼百合さま!」
揚羽は、これまでみたこともないほど冷たく皮肉なかおつきでぼくを嗤った。隙を見せるたびに甘い言葉をささやいて口付けてきた彼と、同じ揚羽蝶だとは思えない。ぼくは背筋がぞくっとした。

「鬼百合ちゃんはちょっとばかなところが可愛いと思ってたけど、そこまで芯からばかだとは思わなかったよ。」
「何が言いたいんだ。庭に捨て置かれたぼくを哀れんでくださったかみさまが、ぼくを美しく変えてくださったんだ。何が悪い?」
ぼくが唸るように言うと、揚羽は見下しているのか哀れんでいるのかわからない、ふしぎなほほえみを浮かべた。
「かみさま、ね。どうだか。第一、そんなかみさま、俺ならごめんだ。」

いったい、揚羽蝶はなにが気に食わないというんだろう?小ばかにしたような言い回しが腹立たしくて、ぼくは揚羽蝶を、あらんかぎりの声で怒鳴りつけた。
「だからなんだ。何が言いたい!」
揚羽は怒鳴り声が翅を震わせても一切動じなかった。しばらくの間、しずかなまなざしでぼくを見つめてから、ささやくように言った。
「俺は今のお前に口付けようとは思わない。それだけのことさ。」

それから、立ち去り際に、少し迷ったようなそぶりを見せ、もうひとこと付け加えた。
「白百合になるのが幸せだとお前が決めたなら、それは俺の口出しできることじゃない。だがね、奇跡なんてろくなもんじゃない。」

来たときと同じようにひらひらと、部屋から飛び去った揚羽蝶は、もう二度とぼくの前に現れなかった。




#6 白百合はある予感を抱く


その後もずっと、ぼくは夢のような生活を続けた。揚羽蝶の冷たい声は棘のようにいつまでもちくちくしていたけれど、ときどき思い出して苛々するだけで、ぼくはほとんど気にしてなんかいない。

かみさまかなにかが起こした奇跡は、ぼくに不滅の輝きを与え、あれからもう何年もたつのに、ぼくは美しいまま咲いている。何度かご主人が変わって、そのたびに花瓶は豪華になり、ぼくを褒め称えた詩はもはや数え切れない。

ぼくは、この上なく幸せだ。何度だって断言する。ぼくがどれだけ幸せだか、あの揚羽蝶に聞かせてやりたいくらいだ。

――でもすこし、ぼくにはすこしだけ、予感もあった。
白い花弁を賞賛する人間たちの熱っぽい言葉なんかより、揚羽蝶の自分勝手な接吻が欲しくなりはじめる、そんな未来が訪れる予感だ。

「ありがとうございます。ぼくは今日も幸せです。」
だけど、そんなのはもっともっと先のことにすぎない。
白百合となってお庭を離れたぼくは、今かんぜんに幸せを感じている。そう、すくなくともいまのところ、ぼくは、かみさまかもしれないなにものかに、毎日感謝の祈りを捧げている。

《それはよかったじゃないか。》
そんなふうに、ときどき返事がかえってくることもある。

――だけどどうしてぼくを、白百合にしてくださったんですか?ぼくはあなたに、何も差し上げていませんのに。

それを問うのはなんだか怖くて、ぼくは一度も、声に出せずにいる。もし問うたなら、かみさまかもしれないなにものかは、こんなふうにこたえる気がしてならない。

《きまぐれにきまってるだろう、自惚れ屋。》

その嘲笑が聞こえたとき、ぼくは揚羽蝶に恋をするのだろう。
そして揚羽蝶は、もちろん二度と現れない。

END