幾光年



むかしむかし、北極星が竜のしっぽだったころのことです。この地上には多くの神々がお住まいで、赤い色を統べる紅の神さまもそのお一人でした。紅の神さまは八百万の神々の中でも、金や銀の神さま、そして碧の神さまに次いで高貴でいらっしゃって、血のように赤いルビーのお城のてっぺんから、ひとびとが紅を汚さぬよういつも目を光らせておられました。

ある日、紅の神さまがいつものように地上を見渡していると、碧色の薔薇を咲かせた小さな家が目に留まりました。人間の国には碧色の薔薇などありません。不審に思った神さまが暫く様子を見ていたところ、家から魔法使いの男の子が出てきて、碧色の薔薇に歩み寄り、薔薇に指を伸ばします。その指は赤い血が流れている気配がなく、けれどもふしぎな輝きがありました。なんだか厭な予感がします。神さまは男の子の血が赤いことを確かめるため、薔薇にひとこと命じました。

「お前の鋭い棘でもって、魔法使いの膚を刺せ!」

かしこまりました、紅の神さま。そんな返事が、聞こえたか聞こえないかのうちに、男の子は手を滑らせて、白い指を薔薇の棘に突き刺しました。神さまは眼を凝らします。けれども不思議なことに、真っ赤な血は流れません。よく見ると、碧色の血が一粒、人差し指に浮いていました。

「きさま!」

紅の神さまはかんかんに怒って、男の子に向かって叫びます。血をにじませた指を押さえながら男の子がふりむくと、顔を真っ赤にした神さまがこちらを睨んでおりました。

「常葉の碧で、誰そ彼の紅を汚しおったな!」
「ごめんなさい、紅の神さま!あなたを汚すつもりはありませんでした。お母さまとお父さまがあんまりはかないものだから、ぼくは永遠に憧れたのです」

男の子は顔を蒼くして平伏し、せいいっぱい謝りました。魔法使いは《永遠》に焦がれた哀れなみなしごだったのです。かわいそうな男の子がどんなに謝っても、紅の神さまの怒りは解けませんでした。紅は昼と夜との境、頼りなく揺れる蝋燭の火。刹那を愛する神さまですから、冬も褪せない常葉樹の碧とは、相容れるものではありません。

「そんなに永遠がほしいのなら、くれてやろうではないか!」

紅の神さまはそう言って男の子の心臓(ハァト)を取り上げると、天高く放り投げてしまいました。碧の心臓は、碧色の星になって幾光年の彼方で脈を打ち始めます。男の子は、自分の心(ハァト)が遠ざかるのを感じましたが、怒りも哀しみも湧いてはきませんでした。

「心臓まで六十光年、哀しみや歓びがお前の身体に届くまで、きっかり六十年だ。笑ったり泣いたりするころには、理由など忘れているだろう。お前は永遠に歪んだ時を生きるがいい。」

男の子は、ぽかんとしたまま紅の神さまの険しい顔を見ていました。絶望も、怒りさえありません。ただ、自分は六十年後にわけもわからず泣くのだろうとしずかに悟っただけでした。

そして男の子は旅人になりました。碧の心臓(ほし)を射落として、この身のうちで赤い鼓動を打たせる術を探す、永遠の旅人です。

けれども、希望が無いわけではありません。旅人は知らないままですが、男の子を哀れんだ碧の神さまと、罰が重すぎたかと悔いる紅の神さまの間でひとつの約束が交わされたのです。

――永遠の紅薔薇と、刹那の輝きを湛えた碧。それとちいさな奇跡があれば、心臓が戻ることもあるだろう。

天球から碧の星が消えるのは、それから千年後のことです。



おしまい