こんな夢を見た。
トランペットの音色も高らかに、仮装パーティーは始まる。
王国初の試みに、女王の座を狙うアリスは無論《アリス》の仮装で乗り込み、女王選の筆頭株と言われる白薔薇の行方を捜していた。
姦しいおしゃべりと投げ捨てられた黒鶫の海をかき分け、やっと見つけた時、白薔薇はトランプたちに顔を塗り直させているところだった。
「白薔薇!」
苛立ちを隠さず呼び棄てると、トランプたちはサッと身を引いて敬礼する。
アリスは鷹揚に答礼し、振り向いた白薔薇のにこやかな顔を見てぎょっとした。
「ごきげんよう、アリス」
白薔薇は、紅く塗りたくられた顔の、口の周りをさらに赤い血で汚していた。
色からして、あれはカメリアの頤だろう。白薔薇の領地に、元はカメリアが配されていたというのは、どうやら本当だったらしい。まさか白薔薇が食べてしまったなんて。
「不思議よね、白いカメリアだったのに、血はこんなに赤いなんて」
アリスの視線に気づいた白薔薇は、鈴のように可憐な笑い声をたてて言う。
「ばかじゃないの、あんただって同じでしょうよ」
自分だって白薔薇の癖になんて言いぐさなの。呆れたアリスは冷たく言い放った。
「だいたいそれ、何の仮装なの。顔中真っ赤にして悪趣味だことね」
嫌味っぽく付け加えたのは、肝心の扮装がいったい何に扮したものだか、まるで分からないからだ。
衣装はごく普通の白い礼装。その上に、平凡な黒い外套を纏っているのが珍しいと言えば珍しいけれども、白薔薇の趣味とは違うだけでごく普通の組み合わせだ。
「あら、アリスの癖に分からないのかしら」
にやにやと満足顔の白薔薇は、わざとらしくエヘンとかわい子ぶった咳払いをした。
ちょっと小首を傾げ、芝居がかった声色で、白薔薇は種明かしの科白を言う。
「《わたし、きれい?》」
その短いフレーズに、アリスは耳を疑った。
聞き覚えのある言葉。まさか白薔薇が。
「ねえ、きれい?」
――口裂け女!
紅薔薇の扮装は、やっぱり、どう考えても口裂け女だ。
口の周りはカメリアの血で赤いだけで、裂けたようには見えず、都市伝説に忠実とは言えない出来だったが、そう問われてしまえば彼女はまごうかたなき口裂け女だった。
「わたし、きれい? ねえ、わたし」
《ええ、きれいよ。》
《いいえ、きれいじゃないわ。》
どちらとも答えることができず立ち尽くすアリスに、白薔薇は根気強く問い続ける。
「わたし、きれい?」
サンガツに扮した贋兎が素っ頓狂な叫び声をあげながら、アリスと口裂け女のあいだを横切っても、問いはやまない。
「ねえ、きれい?」
トランプたちはいったい何のタイミングをはかっていたのか唐突に刷毛を手にすると、口裂け女の傍へ寄り、紅いペンキを塗り直して、またサッと身を引いた。
「わたし、きれい?」
したたり落ちた紅に礼装の白を汚しながら、口裂け女となった白薔薇はにじりよる。
アリスが後ずさりすれば、そのぶんだけ、口裂け女は近づいてくる。
答えなければ、彼女は追ってくるだろう。
それは分かりきっていたけれど、アリスはすっかり混乱して分からなくなっていた。
口裂け女がきれいなんかじゃないことは分かっているのに、そう答えたらいけないとも分かっていて、でもきれいよなんて嘘をついたらいけないことも同じように分かっている。
「ねえ、きれい?」
沈黙が正しくないことも、当然、女王の座を狙うアリスは知っていた。
舌打ちしながらまた一歩、また一歩と後ずさった時、背中に、なにか硬くて脆いものが勢いよくぶつかった。
しまったと思う間もなく、グシャッと嫌な音がして、どろどろと滑ったものがアリス衣装の背中からストッキングを伝っていく。
足元に目をやれば、黒い靴の下には、つぶれた黄身と白身が大きな水たまりを作っていた。
――ハンプティ・ダンプティ、割れやがったあの野郎!
「ちくしょう!」
思わぬ落とし穴につい悪態をつき、ハッとして口を抑えた時にはもう遅かった。
見あげれば、愉しげに微笑んでいた口裂け女の表情が一変している。
「きれいじゃないっていうのね」
明らかに異常な目をした口裂け女は、空っぽな目にアリスだけを映している。
そして、おもむろに、外套のポケットから巨大な剪定鋏を取り出した。
ぎらぎら光る銀色の刃物を、口裂け女のか細い腕が、危なっかしく振りかぶる。
頭上で刃が一閃するのを避け、咄嗟に、アリスはその腕を両手で掴み、グイと思いっきり引っ張った。
口裂け女は呆気なくバランスを崩して倒れ込む。
この絶好のチャンスをまさか逃すはずもなく、女王候補者――アリスは即座に自らを勝者にした。
奪い取った剪定鋏で、アリスは一切の躊躇なく、白薔薇の首を摘む。
―――バチン!
大きな音とともに、アリスの扮装は真っ赤な血飛沫で汚れ、野次馬どもが嬌声をあげる。
「アリスの勝利だ!」
「新女王はアリスだ!」
血と卵にまみれながらもアリスは堂々と喝采を浴びてみせた。
振られる手に振り返しながら自らの強運を讃える。
白薔薇の首の影から、チェシャ猫がふらりと現れるに至って、喝采はますます激しくなる。
仮装パーティーの場にあっても扮装しないことをただひとり許されたチェシャ猫は、金色の王冠を尻尾に引っかけ、目もあわさずにひょいとアリスに投げてよこした。
「無礼なやつね」
ぶつぶつ言いながらも、アリスは王冠を自分の頭に載せる。
チェシャ猫は、あのにやにや笑いを浮かべてなにか言ったようだったが、大きくなった歓声に掻き消され、アリスの耳には届かなかった。