……というわけでもなくて、すこしだけむかし、あるところ――とっても遠くにある街で《暁の都》というそうよ――に、ふたりの男の子が住んでいました。ひとりは、黒い髪に蜂蜜色の眼をして、もうひとりは、栗色の髪に、海色の眼をしていました。ふたりは学校友だちで、とっても仲良しだったの。
ある夜、黒髪の子が夜明け前に目を覚まして、フランス窓のカーテンを開くと、お月さまからの招待状が落ちてきました。招待状の宛名は「親愛なる黒猫さん」、送り主は「黒い塔の月あかり」となっていました。黒髪の子はこのとき、男の子以外になったことがなかったので、黒猫と呼ばれてふしぎに思いましたが、とってもきょうみをそそられるおもしろい招待状でした。
どんなご招待かと言うと、それは「黒猫さんを黒い塔にご招待します」というものでした。「ひとりでいらっしゃい」とも書いてありましたが、お月さまからのご招待です。男の子のことを「黒猫」と呼ぶ奇妙な手紙でしたから、黒髪の子はひとりで行くのがこわかったのね、おともだちの、栗色の髪の子に相談しました。ふたりで話し合った結果、ふたりでいっしょに黒い塔へ行くことになって、招待状といっしょに落ちてきた鍵を、プレーセペが届けてくれた鍵穴にさしこんでまわしました。もちろん、ふたりでいっしょにです。
ところが。鍵が開く音がして、気がつくと、黒髪さんはひとりきりで階段室に立っていました。栗色のお友だちの姿は見えません。しかも、なんだか世界が巨大になったようです。しばらくとまどってから、黒髪さんはじぶんが黒い仔猫であることを知りました。
バスケットにいれられて、らせん階段をくるくる運んでもらって、着いたのは黒い塔のてっぺんです。そこではお月さまが待っていて、黒猫になった黒髪さんを迎えてくれました。てっぺんに着いたときにはもう、黒猫さんは、いっしょに来たはずの栗色さんのことをもうすっかり忘れてしまっていました。だいじなお友だちなのに、まるっきり、なあんにもおぼえていなかったんです。それどころか、黒髪さんはじぶんが生まれてこのかたずうっと黒猫だったような気がしていました。そんなふうでしたから、きみょうでふわふわしたすてきな塔のてっぺんで、しばらくお月さまの飼い猫としてたのしく暮らしていました。
だけどある日、黒猫さんは、おやつにマルメロのお菓子を食べました。太陽みたいな色をした、魚の形のお菓子だったそうです。それをひとくちかじると、とどういうわけか、お月さまの魔法がとけて、だいじなお友だちのことを思い出すことができました。黒猫さんは、ほんとうは黒い髪の男の子だったっていうこともね。
元男の子の黒猫さんは、じぶんがお友だちのことをわすれていたのがかなしくて、そばにいないのにへいきでいたことがとってもこわくなりました。だからいそいで
「ぼくのだいじなお友だちは、どこにいるの?」と、お月さまにたずねると、ずっと黒猫さんとふたりで暮らしたいお月さまは困った顔をしましたが、かわいい仔猫がいっしょうけんめい頼むものだから、困りながらも教えてくれました。
お月様が言うには、栗色のおともだちは、塔の底にあるお庭におちてしまったのだろうということです。そこはお月さまのお庭ですが、真ん円のお月さまは行くことのできないところでした。探しに行くという黒猫さんに、お月さまは塔で暮らすうちに黒猫となかよしになっていた火蜥蜴をお供につけてやって、ランドリーシュートから塔の底へいく道を教えてくれました。
黒猫さんと火蜥蜴は、広い広いお庭の中を、栗色の子をさがして歩きました。根気よくさがしたのですが、なにぶん広いところなので、なかなかみつかりません。洗濯屋さん時計屋さん花摘みさん水汲みさん――これはみんなお月さま専用のお仕事です――会う人逢う人にたずねてまわって、ある重要な手がかりを聞くことができました。
その手がかりを教えたのが、お月さまのためにシャーベット水を調合する仕事をしていたわたしのおばさまです。おばさまが話したのは、最近やってきた評判のうさぎさんがいるということと、よそから来て、錬金術をするうさぎさんなら、さがし人のことをなにか知っているかもしれないということ。
黒猫さんと火蜥蜴は、うさぎさんをたずねることにしました。おばさまはうさぎさんの住処も知っていたので、そこからは簡単でした。うさぎさんは塔のすみっこの水色のおうちに住んでいて、毎日毎日、アゾートを作る方法をもとめて実験を繰り返していたの。だからふたりがたずねたときもおうちにいて、天秤やフラスコや鉱石標本がところせましと置いてあるお部屋にふたりをとおしてくれました。
お庭のどこかにいるらしい、だいじなお友だちのことを話した黒猫さんに、うさぎさんは、実験途中のアゾート、赤い石を見せてくれました。まだ完全じゃないけれど、同じお庭のなかの、だいじなおともだちのところくらいなら行けるかもしれないというのです。
黒猫さんは、ばらの花のように赤い石を、両手でささげもち、いっしょうけんめいお祈りしました。火蜥蜴も交代で石を持っていっしょにお祈りします。火蜥蜴はやさしい黒猫さんがとっても好きだったので、黒猫さんのだいじなお友だちがみつかりますように、と心から思っていたのです。火蜥蜴がやさしいためいきをつきますと、火蜥蜴のためいきですから、赤い石によく似た真紅の焔がしずかに燃えて、赤い石にそっとかかりました。
焔が消えたとき、赤い石は海色の卵に変わっていました。うさぎさんは、赤い眼で海色の卵をじっと見つめ、それから、黒猫さんと火蜥蜴を見ました。それから、ふと思いついたように、卵をこつんと割りました。
卵は、海色の殻を金銀にかがやかせ、四方八方に飛び散りました。ぱあっと広がって、うさぎさんと火蜥蜴のまわりをくるくる回ったかと思うと、赤いつむじ風になって、ふたりを隠してしまいました。
黒猫さんは、びっくりして名前を呼びました。どうしてか分からなかったけど、このとき黒猫さんは、栗色のだいじなお友だちの名まえを呼んでいたの。黒猫さんは、火蜥蜴とうさぎさんを呼びなおそうとしましたが、すぐにその必要がないことが分かりました。
つむじ風がおさまって、まだゆっくりと舞いつづけるばらの花びらの中に立っていたのは、栗色の髪に海色の眼をした、黒髪の子のだいじなだいじなお友だちだったからです。塔から落ちたとき、火蜥蜴とうさぎさんと、ふたつに割れてしまっていたのね。
お友だちをとりもどした黒猫さんは、もとの黒髪の男の子に戻って、ふたりで黒い塔を去っていきました。
かわいい黒猫にあえなくなるのがさみしいお月さまは、黒猫さんとたくさん会えるように、底のお庭を黒猫さんにあげることにしました。黒髪の子は、お月さま専用だったお庭をだれでも入れるように変えたので、いろんなひとが自由に花を摘んだり乳を汲んだりするようになって、わたしのおばさんも、お庭の外で、お庭の材料を使った喫茶店を始めたの。それがこの《Oz》の《黒猫屋》です。
栗色の男の子に戻ったうさぎさんだけど、ときどき黒猫になってお庭に来る黒髪さんとおなじように、ときどきうさぎさんになってお庭で錬金術の研究をしに来るのよ。赤い石の研究が途中だったから。ときどきやってきては研究して、ついにできあがったのがアゾートなの。
うさぎさんは、お友だちが庭師をはじめてから、どんどんふしぎで美しく変わっていくお庭に、すてきなひとがたくさんきてくれるように入り口を作ったり、入り口の作り方を教えたりしました。コースターはそんな入り口のひとつだし、わたしに夢の見方を教えてくださったり、ドロシーさんにアゾートの作り方を話したのもそうね。
こういうわけで、黒猫さんもうさぎさんも、ふだんは遠くのまちで男の子としてくらしているの。彼らは、もとの少年のすがたや、黒猫とうさぎのすがたのほかにもいろいろなすがたで現れるというけど、それは、わたしにはわからない。ドロシーさんなら、どこかで会うこともあるかもしれないわね。