或いは、カンバスにおける虹彩の色
#4 絵葉書の駱駝がしゃがれ声で話したこと


けっきょくみんな、しゃがれ声の駱駝さんがじぶんでみんな種明かししてくれることになってしまった。写真立てがあることはさっきちゃんと気がついていたのに、茶色っぽい写真があるとしか思わずに、駱駝さんのことをちゃんと見られなかったなんて。

ぼくは、自分でも意外なほど落ち込んだ気分だった。ただちょっと見つからなかっただけでおかしいけれど、きょうはだってとくべつだ。ぼくはやっぱり浅はかなにんげんなのかしら。降矢に投げつけた浅はかな言葉を、ここに来てまた後悔する。

ふらふらと羽を動かして、二段目におりたつ。割れ物注意の段だから、羽をぶつけないように気をつけて、写真立ての真ん前にそっととまった。さっきまで孵化したての高揚は、もうすっかり消えうせている。

「こんにちは。駱駝さん。」

見上げれば、青い唐草模様のついた白いせとものの写真立てのなか、たしかにりっぱなこぶを二つも持った駱駝さんが絵葉書のなかで笑っている。

「ああこんにちは、小鳥くん。」

駱駝さんはぼくのあいさつに目をほそめると、本来の絵柄を無視して首をうごかし、ぼくのほうを向いた。そしてぼくの顔をみて、困ったみたいに顔をしかめた。

「すまなかったね、そんな顔をさせるつもりじゃなかったのだよ。小さい子は探検がすきだからね、私を探すのも楽しいかと思ったのだが……。」

しゃがれ声が一気に沈んでしまう。どうやら、気のいい駱駝さんはぼくが元気をなくしてしまったことに責任を感じてしまったみたいだ。ぼくはあわてて言った。

「ううん、ちがうんだ。駱駝さんを探すのはとっても面白かったよ。ただ、ちょっと、きょうともだちを怒らせてしまったのを思い出してかなしくなったんだよ。」
「おともだちを?」
駱駝さんはぼくがとてもありえないことを言い出したと思ったようだった。
「君のようなかわいい小鳥を怒るなんて、私にはできそうもないけれど。どうしておともだちを怒らせてしまったんだい?」

目を丸くして尋ねられ、ぼくはなんだかさらにかなしくなってしまった。降矢の険しい顔や冷たい声が頭だけでなく肌までひびいて、孵化に浮かれていた全身の羽毛がしおしおとうなだれていく。

「ぼくが、いけないんだ。ぼくが馬鹿なことを言ったから。」

ぼくは月明博士に話した内容に青色アゾートの卵のことを追加し、博士にしたよりも丁寧にことのあらましを説明した。見ず知らずの駱駝さんに、どうしてこんなことを話しているんだろうとも思ったけれど、絵葉書の駱駝のほうがぼくや月明博士よりも絵描きのことをよくわかっているかもしれないから、いっしょうけんめい話した。
やっぱりところどころつっかえるぼくを励ますように、駱駝さんは何度もうんうんとうなずきながら聞いてくれる。通りすがりの小鳥のことをこんなに一生懸命聞いてくれるなんて。月明博士よりよっぽどやさしいかも。

「……なるほど。問題は、《ほんとうの色》なのだね。いや、むしろ、絵描きのまなざしのほうか。」

ひととおり話し終えると、駱駝さんはそう呟き、絵柄本来の顔でふっと絵葉書の中の遠くを見た。なにもないところのなにかを見ている顔に、ぼくはなんだか動揺する。絵葉書の構図から外れたその視線の先に、いったい何があるんだろう?そんなことを考えながら駱駝さんが三回まばたきをするのを見守っていると、無音のキャビネットから、円テーブル上で兎の砂時計からさらさらと砂がこぼれる音が聞こえた。

「そのおともだちとは、すぐにまた会えるのかい?」

静けさを保ったまま沈黙を破った駱駝は、首は動かさずに目線だけぼくに向けて尋ねた。怖いくらい真剣な眼に、体中でぞわっと羽根がふくらむ。

「あ、あ、会う。あしたでもきょうでも会う!あえなきゃこまるよ、降矢なのに。」

ぼくはおまんじゅうのようにふくらみながら、まるで春先のへたくそな鶯みたいにどもった。ぼくのまぬけな返事を聞いた駱駝さんは、さっきのきりきりした顔を一気に崩して、砂漠のオアシスみたいに笑ってくれた。

「だったらそう気に病むことはない。絵描きでないものには、絵描きの気持ちはわからないものだよ。それはしかたのないことだ。だいじょうぶ、すぐに仲直りできるさ。」

「絵葉書の駱駝さんでも、絵描きの気持ちはわからないの?」

「わからないともさ。私を描いた絵描きが、どうして私の背に荷も人も乗せなかったのか?どうして足元に砂漠でなく草原を描いたのか?……私はちっともわからない。若いころは、お姫様を乗せて月の砂漠を行ってみたかった、と溜息をついたもんだ。――でもね、描かれてからの長い年月で、少しはわかるようになったこともある。」

「それは、どんなこと?」
ぼくはほとんど無意識に尋ねていた。駱駝はそう訊かれるのを分かっていたように笑いながら答えた。

「絵描きは、私を描きたかったんだということだよ。銀の鞍を乗せた砂漠の駱駝ではなくて、草原に独り何も乗せずに佇むこの私を、彼は描きたかったんだ。きっと、君のおともだちも同じだろう。だいじなおともだちを怒るくらい、彼はその黒い眼を描きたくてたまらずに描いている。」

駱駝のしゃがれ声はずっと微笑んだまま、一言話すごとにデクレッシェンドした。最初は部屋中に響いていたのが、しばらくするとキャビネットだけになり、最後にはこの二段目の、ぼくと絵筆と絵の具にだけ聞かせているふうになる。けれどそれは、ただ小さいのとはちがって、上手なピアニストの奏でるピアニッシモみたいな、静かでも芯のある強い声だった。

「そうだね。彼はほんとうにその黒い眼を描きたいんだ。」

しゃがれたピアニッシモ、それから自分の囀りが尾羽の先までふるわせるのをかみしめて、ぼくはちょっと眼をつむった。彼の描きたくてたまらない黒い眼。それがいったい誰のものか。降矢はいちども口に出して言ったことはないけど、ぼくはなんとなく知っている。知っていて、なんだか怖くなった。

「だけど、その黒い眼は、そんなにしてまで描かれる価値のあるものだろうか?こんなふうな、薄紅の小鳥ならともかく。ほんとうのぼくは、ただの黒眼黒髪の人の子なのに。」

そうだ、降矢の手は、絵筆一つでなんでも燈す魔法のようなのに。ぼくは青色アゾートに孵化しても、ただ羽ばたいて飛んでいるしかできないじゃないか。
そんなことを考えてうつむいてしまうぼくを、駱駝はおちついた口調でたしなめた。

「君は、青色アゾートとして孵化して、今の姿になったのだろう?アゾートが人の子をまやかしに変えてしまうなんて事はないさ。小鳥の君も、人の子の君も、どちらも嘘なんかじゃない。」
「でも……。」
「ねえ、小鳥くん。かんがえてごらん。おともだちは何色だと君は思う?髪や眼が黒だから、それが彼の色だ、ほんとうにそれだけだと君はおもうかい?」

駱駝さんはするどく張り詰めたまなざしでぼくを見ていた。その眼は、シャーレの中の青花火を見つめる月明博士の眼と、カンバスに向かって絵筆を走らせる降矢の眼にそっくりだった。つまり、これは、なにかとても大切なことを見極めようとする、そういうまなざしだとぼくは気づいた。

「……降矢は、黒い髪に黒い眼だ。だけど、紫と青に似ていると思ったよ。青色アゾートの青と紫は、降矢っぽい気がする、って実験を見ながら思っていた。それに、卵の白銀の殻は降矢の絵の静かな感じに似ているかな。なんとなく。なんとなくだけど。」

シャーレの中でぱちぱち光った青い閃光や、ビーカーの中でゆっくりと集まっていった卵殻をまぶたのうらによみがえらしながら、ぼくは散らばった羽根をひとつひとつ拾い上げるようにして話した。駱駝はにっこりと砂漠のオアシスの笑みをうかべている。

「ふふ。そういうことだよ。君の色や姿もおなじことだ。君は十分にわかっているじゃないか。」

そうなんだろうか?ぼくはわかっているだろうか?
黙り込んだぼくを、駱駝さんは真正面からじいっと見つめる。それは駱駝というよりも、猫に似た視線の強さだ。

「おぼえておくといい、小鳥くん。絵描きとは、人の中に鳥を、鳥の中に人を見出す生き物だよ。そして、ほんものの絵描きとは、だれよりも真実に近いところにいるものだ。」

駱駝さんのしゃがれ声はひときわやさしく、ぼくにそう告げた。ぼくは駱駝さんのそのことばに、ぼくがこの部屋に降り立ったのはとても正しいことだと教えられた気がして、啼くこともせずに頷いた。この不思議な静けさに満ちた部屋がだれのものなのか、なんとなくわかったようにおもう。
駱駝さんはそれきり黙って、満足げにほほえんでいた。

しばらくは時計の砂が落ちてゆくかすかな音が聞こえていたけれど、砂が落ちきったのかじきにそれもやみ、部屋を沈黙がゆきすぎる。それを破ったのは、今まで一言も口を聞かなかった青眼の時計兎だった。

「さて、アリス。そろそろ時間だ。」




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2010/6/18