或いは、カンバスにおける虹彩の色 |
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#6 芸術家は薄紅色の羽根を拾う
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ぼくと青眼兎は、思い描いた以上に上等の焔に見とれていたけれど、降矢はぼくらの反応をたしかめることもなく作業を続けた。絵筆を円テーブルの上に置き、ほとんど忘れられかけていた「黒い塔のMoonshine」からの招待状を手に取る。そういえば、これを燃やすために火をつけたんだっけ、とぼくはそれで思い出した。 降矢はさきほどの繊細さとはかけはなれた無造作なしぐさで、封筒と中身を一緒くたにして焔にくべた。蜂蜜色の火は猫かイルカみたいにくるりと宙返りしたかと思うと、次の瞬間には封筒を食い尽くした。灰のかわりにあとに残ったのは、猫のてのひらくらいの月長石がひとつと、白銀色の卵殻の粉末が大匙いっぱいほど。この卵殻は、青色アゾートの卵製作に使われていたのとおんなじだ。 「どうだ、兎くん。僕はアリスを救い出せたかな?」 降矢は、さっきの背筋の寒くなるやり取りの続きなのか、完璧に作りこまれた微笑を浮かべた。兎ははっとしたようすで金色の焔から視線をはがし、やっと絵描きの顔を見た。 「いや、君は大した絵描きだ。錬金術師としても既に一流以上だな。」 青眼の兎は、降矢に対してはじめて温かみのある声を出した。それを受けて、降矢は満足そうにするでもなく、ただちょっと頷いてみせる。降矢はそういうやつだってわかってはいたけれど、どうしてそんなにそっけなくいられるんだろう? 「ほんとに、すっごくきれいだよ。」 ぼくも知らない小鳥なりにつたない感想を伝えてみると、降矢は少しかがんでぼくの眼を見た。じいっと、眼の中に何かをさぐるこの顔は、絵描きのまなざしに近い。ぼくが動揺して羽根をそわそわさせていると、可笑しげに笑って「ありがとう」と告げ、絵描きのまなざしは去っていった。 「すばらしい錬金術師くん。もう一つ、やっていただきたいことがあるんだけれどね。」 冴え冴えとした青眼でぼくらの一連のやりとりを見守っていた兎は、また温度の低くなった声で話しかけた。降矢は、さあなんだろうとばかりに、歪みのないポーカーフェイスで小首を傾げてみせる。 「この小鳥。名が分からないので僕は勝手にアリスと呼んでいるんだ。錬金術師の慧眼で、真名を見破って教えてくれないかい。」 兎はそう言いながら、ぼくの両羽のしたを二本の前肢で持ち上げ、降矢に向けて差し出した。兎の手でかんたんに持ち上げられたぼくは、ピーピー啼いて抵抗してみた。けれど、降矢はあっさりと受け取ってぼくを左のてのひらに乗せた。逃げ出そうと羽をはばたかせかけても、右手でそっと押さえ込まれ、あっさりと敗れる。ぼくは、こんなに小さくなっていたんだな、と小鳥になってはじめて、こころぼそくかんじた。 「この子の名を当てればいいのか。」 降矢は、じたばたするぼくをなだめるように、さっきまで絵筆を握っていた右手の指先でぼくの頭をやわらかになでる。それはぜつみょうの力加減で、ぼくは暴れるのを忘れてふにゃりとなってしまったけれど、いやに冷静な目つきで降矢がぼくを観察しているのに気付いて体にちからを入れなおした。 「そうさ、この小鳥の名を呼んでくれたまえ。」 兎は冷たい声で言ったけれど、降矢は兎に視線さえ送らず、澄ました顔でひたすらぼくをくすぐってからかっている。くすぐったくてチュンチュン啼くのを面白そうにみては、なだめるようになでる。ぼくはふにゃりと流されそうになるのをこらえて兎に向かって口を挟んだ。 「ぼくの名前なんか、わかりっこないよ。」 「そうかな?」 あっさりした声で言ったのは、指名された絵描き本人だった。なんのこだわりもなさそうな顔だけど、まなざしの質は変わっている。カンバスに向かうするどさは後ろに隠して、でも同じ強さと重さのある眼。 「君だろう?」 降矢はぼくを乗せた左手を、顔の高さまで持ち上げた。ぼくがちょっとだけかれを見上げる、いつもの視線のたかさのところで、降矢はぼくを見つめた。そんなふうに見つめられる価値がぼくにあるのか、わからなくてけんかになっちゃったくらいに真摯な、例のまなざしだ。 「いつもと姿がちがうけれど。君だろう。」 こんどは疑問系のアクセントもない。確信に満ちた静かな音色に、うれしいようなはずかしいようなほわほわしたきもちがわきあがってきて、ぼくはいますぐ孵化でも羽化でもできそうなきぶんだった。兎はもうなりゆきを見通しているみたいに黙っている。 「きょうはおこってごめん。」 降矢は、そう言っていっしゅんだけ、ちょっと決まりわるげにわらった。 「水城。」 ぼくは、降矢の声でよばれた直後に、シャボン玉が割れる音を聞いた気がした。 ぱちん、とはじけるかすかな音とともにしゅわしゅわとあたらしい泡が出来て、ぼくは降矢のてのひらから浮かび上がる。そのあいだじゅうもぼくは降矢から眼を逸らせず、あたまのなかでは、なんだかひさしぶりに聞いた自分の名前がいつまでもしゃらしゃらと響いていた。 ――みずき。みずきだって。 ふふふ、と笑い声をあげて、それがまた泡になってぱちんぱちんとはじけていく。浮かれてぱたぱた舞い上がるぼくを、降矢はじっと見守っていた。何かを待っているようだ。なんだろう?ぼくは、はばたくのをぱたりとやめた。そうだ、降矢にあててもらったから、もどらなきゃ。 とつぜんわきあがった思い込みみたいな考えがぼくの青色アゾートをしゅわしゅわと光らせて、ぼくはじぶんのなかのつよいひかりに目がくらんでぎゅっとつむった。すると、ぱちん、と音がする。こんどはたぶん、降矢や兎にも聞こえただろう、大きい音。 まぶたをあげたときには、ぼくは薄紅でも小鳥でもない、黒い眼と髪の男の子にもどっていた。 「そうか、アリスの真名は水城というのか。やっぱり君はさすがだな。いつわかった?」 青眼兎は感心したように頷いて降矢に尋ねた。ぼくも気になったので、隣に立っている降矢を見上げる。 「最初から。と言いたいところだけど、蝋燭に火をつけるときだよ。金色の焔はどうだろう、と考えて小鳥の黒い眼を見ると、その中に金色の光が見えた気がして。実際火をつけてみて、金色と小鳥を見比べて、これはやっぱり水城と同じ眼だと思った。」 降矢は、淡々と言いながら床にかがみこんだ。なにか拾い上げて体を起こし、左のてのひらにのせたものをぼくにも見せてくれる。それは、羽根だった。薄紅色の、ぼくが落とした羽根だ。 「水城の眼は黒だけど、黒を耀かす別の色が奥にあるんだ。ずっとわからなかったけど、さっきわかった。金色だよ。琥珀とか、蜂蜜みたいな、とろける黄金が煌いていたんだって。」 ぼくの、金色が隠れているという眼を降矢はとちゅうまでまっすぐにみつめていたけれど、ことばの途中でふいとてのひらの羽根に逸らした。めずらしいしぐさだ。顔にはでてないけど、はずかしかったのかもしれない。ぼくも、言われていててれくさい。だって、とろける黄金って! 「なるほど。黒猫に似ているというのは、単に雰囲気だけでなくそういうことかもしれないな。黒猫の眼はよく磨かれた琥珀色だから。」 ただ青眼兎だけが平然と話している。降矢は右手の指で薄紅色の羽根をしきりになでているし、ぼくは、じぶんがなでられているような、ふわふわした感覚がよみがえって恥ずかしい上におちつかない。 「錬金術師は黄金を求めるものだから、僕や月明もアリスを気に入ったのだろう。」 ふんふんと頷きながら話している兎に、相槌を打つものは誰もいなかった。 「なんだい、二人していまさら照れ始めるのか?アリスもさっきは似たようなことを言ってたじゃないか。」 それを聞いて気になったらしい降矢はすっと顔をあげた。自分のせりふを思い出してうろたえるぼくにかまわず、青眼兎はキャビネットの駱駝さんに向かって、「ねえ、言ってたでしょう?」なんて話しかけている。ずっと黙っていたはずの駱駝も、兎に話しかけられてうれしげに「ええ聞きました。」と頷いている。 「『青色アゾートの青と紫は、降矢っぽい気がする、って実験を見ながら思っていた。それに、卵の白銀の殻は降矢の絵の静かな感じに似ているかな。』小鳥くんは、たしかにこう言っていましたよ。」 駱駝さんによって完全に再現されたぼくのことばに、降矢はちょっと驚いた顔をしたあとでうれしげにほほえんだ。ぼくははずかしくて逃げ出したい気分だったけど、降矢にすなおに喜ばれたのがうれしいきもちもむくむくとわきあがってきていたので逃げ出せない。だってさっきまでけんかしてたんだ、なかなおりで浮かれたっていいじゃないか! 「おともだちとすっかり仲直りで、よかったじゃないか。小鳥くん。」 駱駝はぼくの心を読んだかのような、絶妙のタイミングで実にほほえましそうに言った。ぼくは、話題をかえたくなって、わざと大きな声を出した。 「ああ、そうだ兎さん!青色アゾートに孵化すると、必ず薄紅の鳥になるものなの?ぼくが黒猫に似てるんなら、猫になってもよさそうじゃないか!」 しかし、相手は一枚上手だった。 「色も形も決まってなどいないよ。単に君がおともだちのところに飛んできたかったからじゃないか?薄紅色は、きっとそのほっぺのピンク色にちがいない。」 兎はつんとした顔でみごとにぼくをからかってみせる。顔があついから、きっと兎の言うとおり頬はあかく染まっているだろう。降矢もてのひらにのせたぼくの羽根と、紅い顔とを見比べて、たえきれないといったふうに笑い出した。右手はやっぱり、薄紅の羽根をそっとなでている。 いつも絵筆を持つ右手が薄紅色の羽根をなでると、そのたびにふしぎな光沢が増して行くことに、ぼくはそのとき気付いた。降矢のまなざしと兎の眼のいろにでも染まったみたいに、薄紅の羽は澄んだ青を帯びてきらめく。仕上げのように、降矢が羽根にそっと息をふきかけると、透き通って青い結晶になった。 「ああ、ついに結晶化させたね。月明の卵より、降矢の錬金術がやはり上だな。」 「結晶化?月明博士の卵というのは?」 降矢は青い結晶を円テーブルに置いて尋ねた。 「そうだね、説明しておこうか。青色は珍しいし、アリスは青色にしても複雑なケースだから。」 青眼兎は、じぶんの瞳と同じ色に光る結晶をそっと持ち上げ、上機嫌に眺めながら話し出す。 「青色アゾートは、生み出されるのではなく見出されるもの。それが赤い普通のアゾートとの一番の違いだ。これは、降矢には夢のなかで教えた事だね。」 無言で頷いて降矢は先を促す。降矢の夢のことはあとでゆっくり聞こうと考えながら、ぼくも耳を傾けた。 「赤いアゾートと同じく《すべて》を意味し、さかさまでもある《Z to A》。錬金術師が見出す、《はじめから完成したもの》。それが青色アゾートだ。見出されるものは人とは限らないし、孵化したときの色形はさまざま。しかし、破片が結晶するとかならず青色を発現する。それが、青色アゾートの名の由来。」 ぼくらが理解しているか確かめるように、兎は青い眼をきらめかせた。降矢は、また無言で頷いた。 「アリスは、卵なんかよりずっと以前に、降矢によって見出された。でも孵化はできないでいて、きょう月明が作った卵を割った。卵は孵化促進装置として働き、アリスは青色アゾートとして孵化したというわけ。今回、卵はきっかけに過ぎない。アリスを見出した本物の錬金術師は、あくまでも降矢だ。卵を割らなくても、どのみち孵化していただろう。その証拠に、たった今、アリスの破片が降矢の手で結晶化された。」 「結晶化とは何を指す?」 降矢は静かに問うた。兎はいい質問だといいたげに笑う。 「錬金術師がなにものかに真実を見出し、何らかのきっかけを与える。青色アゾートを孵化させるにはそれだけで十分だ。しかし、見出した青色アゾートの、さらに奥の真実を見出す稀有な錬金術師もいる。降矢のようにね。結晶化は、昇華、あるいは抽象化といってもいい。より純度の高い、真実そのものになったというわけ。青色はいわばその象徴だね。」 ぼくには、なんのことかさっぱりわからなかったけど、降矢はその説明でじゅうぶんに理解できたらしい。すんなりと頷いて、兎の手の中の結晶を見つめていた。こんなにきれいに耀くものが、ぼくから生まれたなんてうそみたいだけど、でも、ぼくはうたがってはいなかった。降矢は、ぼくを描きたいんだから、ぼくがうたがっちゃいけない。 そして、この青色が、降矢のまなざしと同じ色だということが、ぼくはとてもうれしかった。 まだつづきます 2010/7/12 |